ふじまつりの歩み
1987年(昭和62年)
・奥様の華展用に購入した藤ノ木(根つき)の残りを、家の片隅に植える。
1990年(平成2年)
・地元の小学校校長を最後に退職。
・農業の傍ら藤の育成に没頭し始める。
・藤棚も作り大切に育てたところ、蔓が伸びて花が沢山つくようになる。
1992年(平成4年)
・噂を聞いた人たちが沢山訪れるようになった。
1999年(平成11年)
・”梶本さんちの藤まつり”としてミニコミ紙(あさひゆめほっと)で紹介される。
・この年、花房数は5千。
2001年(平成13年)
・第1回”ふじまつり”として、公開。
・樹齢21年の藤の樹から、なんと1万もの花房を咲かす!
・藤棚の見える屋上も開放したところ、藤海が見えると人気となる。
・見物客は1万5千人。
・特別企画に草餅搗き(無料)と抹茶席(予約制)を準備した。
・裏には駐車場8台分を用意。
2002年(平成14年)
・樹齢22年の1本の樹に1万3千の花房!どんどん増えてくる!
・「この藤を訪ねる人にやすらぎを 去りゆく人に幸せを」の高札を掲げる。
2004年(平成16年)
・10月の熊野街道ルネッサンス「街道シンポジウム」にパネラーの招請を受ける。
・この時「藤の保存会つくってんか」発言があった。
・コーディネーター中尾教授(大阪観光大学)から、平成の花咲じじい発言! これを機にみんなから”平成の花咲か爺さん”と呼ばれるようになった。 ・終了後の交流会では保存会お願いします!どうかお助け下さい!と。(後日談:実はこの年2月に肺がんが発覚!)
2005年(平成17年)
・シンポジウム主催団体などボランティアグループの応援が入る。
・藤の蔓が26m四方に広がり1万6千の花房がついた。
・裏の田んぼのレンゲ草を見ながら草餅が賞味できた。
・中庭ではミニコンサートを開催する。
2006年(平成18年)
・藤保存会が4月1日に発足した。
・藤棚は奥行き27m、街道沿いに30mに延長。低気温の影響を受けて開花が遅れ、2分咲きのまつり初日となった。
・熊野詣での平安女人衣装を着たモデルが登場し、熊野街道を盛り上げる。
・樹齢26年の樹に2万7千房!!(この年、保存会メンバーが実数をカウント)
2007年(平成19年)
・新聞・TVで紹介されるにつれ、年々規模が拡大する。
・今年の来訪者は2万人を超えた。
・ホームページも開設し、開花情報もアップ。
・藤の写真展も同時開催した桐の木で自作した額装も人気!
・この年からスーパーの駐車場の一角をオーナーの善意で無料開放(100台分)。
・記念撮影スポットも設置。
・”1本の藤が皆さんの力で、こんなにも楽しんで貰えるようになってうれしい!”と昌弘さんの頬がゆるむ。
2008年(平成20年)
・9年前に初めて紹介した時は5千房だったのが、昨年は何と3万余に!!!
・2年前に発足した保存会の力で、今や地域で支える春の一大イベントになった。
・細枝を暖簾風に垂らしたりと、新しい試みも。
・暮れの実測で幹回り1.48mをカウント。
・この年12月30日に昌弘さん、肺炎で他界(享年79歳)【朝日新聞惜別欄に、功績を偲んで掲載されました】
2009年(平成21年)
・当主亡き後の、ふじまつり初日は生憎の小雨にも拘わらず沢山の来訪がある。
・”遺言の藤棚”として、NHKテレビの「ニュースウオッチ9」にて全国放送。
・その後TV各社 新聞各紙の取材に追われる。
・一般公開は4月18日~29日 この間3万5千人の人の波!
・花房は30日に保存会総出で剪定!その数4万5千房! すご~い!
2010年(平成22年)以降
・当主亡き後、保存会メンバーで微力ではありますが、”花咲か爺さん”の教えを守りながら、チームの輪と和で、藤の樹をお守しております。